2009年 03月 03日
《Slumdog Millionaire》(感想編) |

感想に移る前にひとこと。まだ、この映画を観てない人でこれから観るという人、この作品を観るときにはなるべく先入観なしに、一本の映画作品として観てほしいと思います。
というのは、ご存知の方も多いと思いますが、この作品がアカデミー賞の最有力候補になった頃からインドを中心にさまざまな激しい論争を引き起こしました。しかし、このたび作品を観て、特に上のような思いを抱きました。そこで、この日記も「感想編」と、論争について紹介して、私見を述べる(まあ、たいしことありませんが)「論争編」に分けたいと思います。
特にインド映画が(一番、得に)好きだという人は要注意かも知れません。やはりこの作品はインドにとっての外国人が作る作品です。もちろん人種的な意味ではなく、映画の業界、そしてジャンルの違いという意味です。インド映画的な傑作を期待すると裏切られます。おそらく、インドでの反発の大半はこの辺にあるのではないでしょうかアニル・カプールが出演し、ARラーマンが音楽監督の映画がアカデミー賞候補の筆頭(結局、受賞)になったけれど、観てみたら全然インド映画ではないと。(その他の一部の人たちの批判は「論争編」で)。
監督は「トレインスポッティング Trainspotting」のダニー・ボイル。キャメロン・ディアスにびっくりした「普通じゃない A Life Less Ordinary」も印象に残ってます。出演:デヴ・パテル、フリーダ・ピント、そしてボリウッドでは説明不要のアニル・カプール、イルファン・カーン。他にもボリの脇役俳優が多く出演しています。
トレイラー
ストーリー(ネタばれはありません)
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ムンバイのある警察署の取調室。警察の激しい取調べ、そして拷問を受けるジャマル(デヴ・パテル)。彼はクイズ番組【Kaun Banega Crorepati】で全問正解まであと1問と迫り、不正を疑われ逮捕されたのだ。スラム育ちの孤児で、チャイワーラー(チャイを給仕する人の意)にすぎない彼にそんな知識があるわけがないと。なぜジャマルは古いボリウッド映画の出演者、アメリカ100ドル札の肖像の人物、インドの古典詩の作者、拳銃の発明者の名前などを知っていたのか?その謎のカギ、そしてクイズの答えのカギはジャマルの強烈な半生にあった。
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映画全体を通じてのスピード感、「次はどうなるの?」というサスペンス性(原作を読んでいたにもかかわらず)、映像美、そして音楽と、多くの点で非常に優れた作品でした。
映画のスピード感、サスペンス性の点で、クイズ番組を主題にしたことは見事に成功しました。クイズ番組はつねに解答者を時間的に追いつめ、正解するかどうかが大きく影響するものからです。映画の前半(ジャマルらの子供時代)は特にそれが顕著です。原作を読んだ人はすでにお気づきかと思いますが、前半ではクイズの出題が先、ジャマルのエピソードが後、という構成になっています。つまり、エピソードは常に解答の時間制限の間に回想されていることになり、あのスピード感につながっています。このため、エピソードが先、出題が後になった後半は多少テンポが落ちましたが。
映像は大変に素晴らしいです。もう、これはただ観て下さいとしか言えません。仮りに【Slumdog Millionarie】がアカデミー賞の作品賞を取れなくても文句は言いませんが、Best Cinematographyを逃したら文句の1つも言いたくなると思います(あくまで他の作品を観た上でですが)。まあ、そのぐらい素晴らしいと。
アニル・カプールがクイズ番組の司会者で出演しています。

現実の【Kaun Banega Crorepati】の司会者はアミタブ・バッチャンとシャールクですが、番組を「俺の番組」と言い切り、それを守るためには出演者を陥れることも辞さないB級俳優プレム・クマール役ならアニル・カプールでしょう(もちろんアニルはA級俳優です)。悪役ですが、助演賞もありでは?
イルファン・カーンはちょっと役が小さくて残念。

最初はジャマルを疑っていたけれど、ジャマルの半生についての話を聞いて、諦めるという捜査官の役ですが、どうせなら最後はジャマルを積極的に弁護するようになる役ならもっと良かったですね。
主人公ジャマルが想いを寄せ続けるラティカ。映画初出演のフリーダ・ピントはとても美しかったです。

でも、ボリウッドの女優さんたちとはやっぱり顔立ちや雰囲気が違いますよね。ちょっと無国籍な感じで。一躍スターになりました。今後に注目です。
《音楽》
音楽抜きに【Slumdog Millionaire】は語れません。ARラフマーンがアカデミーの最優秀音楽監督賞を受賞したのはご存知かと思います。インド映画音楽界(「O Saya」のM.I.A.はスリランカ系イギリス人ですが)の才能をARラフマーンが見事にまとめ上げたというところでしょうか。それはまるで「私たちは西洋音楽だって十分できるけれど、インド音楽が良いからインド音楽をやっている」と言わんばかり。
作品中一番ジーンと来たのが「Lathika's Thema」、美しいメロディです。歌っているのはSuzanne D'Mello。【Awarapan】の「Mahiya」や【Bhagam Bhag】の「Signal」とか、どちらかというとパワフル系の歌が印象にありましたが、これは大変にしっとりと。
Suzanne D'Melloが西洋系で勝負ならば、「Jaye Ho」のSukhwinder Singh、Tanvi Shah、「Ringa Ringa」のAlka Yagnikはインド系で真っ向勝負。良かったです。
音楽自体の良さはもちろんですが、それが絶妙のタイミングで入るところは映画音楽を知り尽くしたARラーマンゆえなのかもしれません。
アカデミー賞ではMusic Mixing賞をResul Pookuttyが受賞しました(彼の地元の村は大変な騒ぎになったという記事がありました)。ARラフマーンは天才で賞を取ったかもしれませんが、こちらは地味な賞ですが業界全体の水準の高さがないと取れない賞です。インド映画にとっては、これが一番の快挙といえるかもしれません。
《原作》
この映画の原作はヴィカス・スワラップ Vikas Swarapという人で、インドの外交官です。日本では『ぼくと1ルピーの神様』(ランダムハウス講談社)というタイトルで出版されています。
映画をご覧になった方、特にインド好きな方には。ぜひ原作も読まれることをお薦めします。なぜなら、映画には原作に(いずれも仮名で登場する)、
クリケットのヒーロー、サチン・テンドゥールカルも、

「悲劇の女王」ミーナ・クマーリも、

コメディ映画監督のダヴィッド・ダーワンも登場しないからです。

原作と映画ではかなりの違いがあります。以下、おもな違いを書きますが、これは決して違っていていけないということではありません。
まず、人物関係の設定が大きく違います。
・主人公はジャマルではありません。主人公はRam Mohammad Thomasというヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の名前を併せ持った、つまり複数の宗教に属しつつ、いずれの宗教にも属さないという、インド社会の観点からは特殊な立場の人物です。映画ではムスリムであるがゆえにヒンドゥー教徒の襲撃に遭うシーンがありますが、原作ではこの特殊性を利用してうまく立ち回ります。
・主人公の幼馴染みでヒロインのラティカは登場しません。原作で主人公が想いを寄せるニタは全く別の状況で出会います。
・主人公の兄サリムは原作では友人という設定です。
他にも違いがあります。
映画と原作ではクイズの問題は1問も重なりません。
・映画では批判の的になった、「なぜ主人公は英語が話せるのか」についての説明があります。
・映画で主人公が生い立ちを告白するのは警察の捜査官ですが、原作ではスミタという女性です。原作ではこのスミタ、実はストーリーと大きく関わっています。スミタは映画には出てきません。
映画を「動」とするなら、原作は「静」。主人公は走ったりしません。原作のほうが、より詳細なインドに関する知識が集められています。
《Slumdog Millionaire》
映画好きな方、とにかく観てみてください。
≪おまけ≫
映画でのクイズ第1問に出てくる映画【Zanzeer】(1973)は正解である俳優さんの出世作。なかなか面白いので、機会があればぜひ。
映画の終わり(エンディングのさらに後)、「Jaye Ho」を観て、落ち着いた気持ちになるのはやっぱりボリのファンだからでしょうか(笑)。



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by madanaibolly
| 2009-03-03 04:40
| ヒンディー以外の映画
|
Comments(4)

またまた遅れコメント。同映画の感想、ポポッポー様と全く同じです(^^)
ストーリーを比較して(?)楽しむなら断然原作(本)ですが、この映画は映画として楽しめました。ボリ視点でみると「これはボリじゃない!」と叫びたくなりますが、そもそも(きっとボリファンが求める)ボリじゃないですもんね、この映画(っていうか製作側)。それ踏まえればちゃーんと楽しめる映画でした。
取りあえず、アーニルが(何故か私的に)キモかった(^^;
ストーリーを比較して(?)楽しむなら断然原作(本)ですが、この映画は映画として楽しめました。ボリ視点でみると「これはボリじゃない!」と叫びたくなりますが、そもそも(きっとボリファンが求める)ボリじゃないですもんね、この映画(っていうか製作側)。それ踏まえればちゃーんと楽しめる映画でした。
取りあえず、アーニルが(何故か私的に)キモかった(^^;
ディディ様
原作のあのマニアックさは事実上映画化不可能ですから、映画化にあたって大きく筋その他を変えたのは英断だと思います。
ボリウッドを観ている人にとってはこれがボリウッドではないことは一目瞭然なんですが、日本ではかなり誤った認識があるみたいです。最後の踊りも外国人監督のボリウッドへのオマージュとして許されるのであって、本気だったら石投げられます。
しかし、最初から最後までノンストップの躍動感、楽しめました。
原作のあのマニアックさは事実上映画化不可能ですから、映画化にあたって大きく筋その他を変えたのは英断だと思います。
ボリウッドを観ている人にとってはこれがボリウッドではないことは一目瞭然なんですが、日本ではかなり誤った認識があるみたいです。最後の踊りも外国人監督のボリウッドへのオマージュとして許されるのであって、本気だったら石投げられます。
しかし、最初から最後までノンストップの躍動感、楽しめました。

スラムドッグ、ボリファン(特に日本の)内でいろいろ論議(?)があるようですが、これがボリ~と誤って認識されている部分に不満を感じつつもこの映画は映画で好き(面白かった!)と感じられるのは、
>外国人監督のボリウッドへのオマージュ
があるから。ボイル監督、こーゆーところが人としてでけた方だと思います。そのよさが映画に滲んでるように思います。
理屈っぽくてすみません(^^;
>外国人監督のボリウッドへのオマージュ
があるから。ボイル監督、こーゆーところが人としてでけた方だと思います。そのよさが映画に滲んでるように思います。
理屈っぽくてすみません(^^;
最後の踊りは明らかにオマージュで、私も監督は律儀な人なんだなあと思いました。
ところがツイッターなどいろいろ見ていると、日本ではどうもこの踊りが誤解を拡大する要因になっているみたいです。「スラムドッグ」=インド映画→だから踊る、と勝手に納得していたり、せっかくいい映画だったのに、最後の踊りで気分が台無し、などという声もありました。
日本でのインド映画普及はまだまだ長い道程です。
ところがツイッターなどいろいろ見ていると、日本ではどうもこの踊りが誤解を拡大する要因になっているみたいです。「スラムドッグ」=インド映画→だから踊る、と勝手に納得していたり、せっかくいい映画だったのに、最後の踊りで気分が台無し、などという声もありました。
日本でのインド映画普及はまだまだ長い道程です。