【That Girl in Yellow Boots】 |
監督:アヌラーグ・カシュヤプ Anurag Kashyap 出演:カルキ・コチェリン、ナセルッディーン・シャー、シヴ・スブラマニヤム、マクランド・デーシュパンデー、ラジャト・カプール
日本の映画祭でも上映された【Dev. D】(2009)のアヌラーグ・カシュヤプ監督の新作。【Dev. D】でもわかるように新感覚の監督ですが、行き過ぎると【No Smoking】(2008)のように難解な作品になってしまいます。【That Girl in Yellow Boots】は、【Dev. D】に続いての出演で、先ごろ監督と結婚したカルキ・コチェリンを主演させています。
トレイラー
ストーリー
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ムンバイの外国人登録局。ヴィザの延長を求めて並ぶ外国人の中にルース(カルキ・コチェリン)はいた。係官には「インドが気に入ったから」と言っているが、ルースはインドが好きでいるのではない。母を捨てて行方不明になった父を探すため、インドにいなければならないのだった。
ルースは客に性的サービスも施す「マッサージパーラー」で働きながら、父の手がかりを探す。ヤク中でマフィアに借金があるロクでもないインド人のボーイフレンド、なぜかいつも電話をしているマッサージパーラーの女主人、ルースの(ふつうの)マッサージを気に入って通い詰める老人(ナセルッディーン・シャー)。意外と情にもろいカンナダ・マフィア。いろいろな人々に囲まれながら、少しづつ父に近づいていくルース。そして明らかになる事実とは?
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アヌラーグ・カシュヤプ監督が作品で見せる独特の感覚が何であるのかを示すのは難しいですが、一つには現実と非現実の区別のあいまいさがあげられると思います。それは夢や妄想といった「非現実」を持ち出す安易なものではなく、登場人物はあくまで現実に身を置きながらも、ちょっとした奇異な出来事の積み重ねによって全体がどことなく非現実性を帯びてくるという感覚です。
この「現実の中の非現実性」という点では、【That Girl in Yellow Boots】は【Dev. D】といい勝負です。インドのマッサージパーラーで働いている外国人女性はいるかもしれないし、インドに誰かを探しに来ている女性もいれば、ロクでもないインド人ボーイフレンドがいる女性もいるでしょう。しかし、それらが【That Girl in Yellow Boots】の主人公ルースに集まると、なにやら不思議な非現実感が漂い始めます。この非現実感は、出来の悪い映画を批判するときの「現実性がない」というのとは全く異なります。観客はこの現実と非現実との奇妙な交錯の中を進んでいくことになります。
舞台となるムンバイの街の風景も、これまで映画中で無数に描かれてきたムンバイのどれとも違い、ムンバイでありながらムンバイでない印象を受けます。これは【Dev. D】の舞台のデリーがやはりデリーでありながらデリーでないように見えたのと同じです。
面白いのは、【That Girl in Yellow Boots】には外国人の視点からインドを眺めている部分があることです。たとえば、冒頭の外国人登録局でのシーン。ふつうのインド映画ならインド人の視点からそこに来ている外国人を眺めますが、この作品ではそこに来た外国人が役人や他の外国人を眺めている感覚です。ルースを演じているカルキの外見が典型的な白人女性ということもあり、ときどきインド映画ではないかのように感じることもありました。
これらのことが重なり合って、【That Girl in Yellow Boots】は、これまでのボリウッド映画とは大きく異なる作品になっています。
ルースには次々にいろいろな出来事が降りかかり、最後まで飽きさせませんが、やや結末がありきたりな感じがしました。伏線らしきものをたくさん張っておきながら、結局あまり関係なかったというところも。もっとも監督自身、途中のストーリーテリング重視で、結末はさほど気にしていないのかもしれません。
【Dev. D】の「Emotional Attyachar」や「Pardesi」(前衛的ダンス)が非常に印象的だっただけに、【That Girl in Yellow Boots】で音楽シーンがないのはやや物足りませんでした。
カルキ・コチェリン インドで父を探すルース役
夫のアヌラーグ・カシュヤプ監督のバックアップがあるとはいえ、インド系でない外国人(両親はフランス人)ながら、最近は【Shaitan】(2011)、【Zindagi Na Milegi Dobara】(2011)に出演して、頑張っています。今回カルキが見せた演技は、喜怒哀楽を明確に表現するインド映画の演技スタイルとは違った、入り混じった感情を表現するもので、どちらかというと欧米の俳優のスタイル。もちろん【Zindagi Na Milegi Dobara】でのように(ボリウッド的に)ふつうの演技もできます。これからも出演作がたくさんあるようなので、期待しましょう。
独特の感覚で、おまけにインドっぽくないので、好みは分かれるかもしれません。ただ、よく出来ていることは間違いないので、観る価値はあると思います。
【That Girl in Yellow Boots】
非現実的な現実(または現実的な非現実)を味わいたい人、インドの風俗産業を(映画で)覗いてみたい人、外国映画っぽいインド映画を観てみたい人、お勧めです。
おまけ
1. 主人公の名前はルース (Ruth)。もちろん作中ではこれがヒンディー式に発音されて「ルートゥ」になっています。これ、外国人のインド体験の感覚を出すため、監督がわざと「th」が入ったこの名前を選んだのではないかと深読みしてしまいます。まあ、日本でも聖書の「Book of Ruth」は「ルツ記」ですが。
2. ルースのボーイフレンドから借金を取り立てようとするのはカンナダ・マフィア。ルースの部屋に上がりこんで勝手にカンナダ映画のDVDを観ていたりします。港のある海岸線が少ないカルナータカ州からは、密輸ルートの確立のため、ムンバイやゴアにかなりの数のマフィアが来ているようです。【Singham】(2011)でもカンナダ・マフィアの下っ端らしいのが捕まって警察で尋問を受けてました(このときカルナータカを侮辱する発言があったとかで、カルナータカ州の一部の映画館で【Singham】が上映中止になりました)。